人口減少社会という希望

少し前に出版された本の名前で、いまでも心に残っている。日本の人口は減る、地方では過疎化が進む、超のつく少子高齢化社会がやってくると、もはや脅迫かと思うような社会科の教科書で義務教育を過ごした。絶望を詰め込んだような教科書の表現は教育する側の切実な思いだったと思うが、実際に人口減少社会を担う世代に対してはすこし配慮が足りなかったのではないだろうか。そんなときにこのタイトルと出会った。

タイトルの本には人口減少社会に対するいくつかの提言がまとめられていて、本質的には価値観の転換を求めている内容だった。人口が増加した「離陸の時代」から人口が減少する「着陸の時代」へ。これからの世代は人々を無事「着陸」させるべく、価値観を転換しながら生きていく。とてもやりがいのある時代に生まれたと思う。そもそも人口のピークを目の当たりにしたという事実だけでものすごくドラマチックだ。

いきなり大げさな話を、と思われるかもしれないが、これまで地球上の生物は何度も大量絶滅を経験してきたそうだ。自然環境の変化が主な要因らしいが、隕石で絶滅したといわれる恐竜は隕石の衝突前から個体数が減り始めていたとする説もある。生物が絶滅するまでの個体数をグラフにすると、数的なピークを経験した種は急激に下降するケースが多いのではないだろうか。

なぜそう思うかというと、増えすぎた種は全体の個体数を抑制しようとするが、その抑制がうまく効かないからだ。ピークを迎えたら、本能的に種の終わりを悟るのではないだろうか。人間もそうだと思う。今日まで種の繁栄のために個体数を拡大してきた生物が、明日から縮小させるために頑張れるものだろうか。ひとつの個体にかける労力を大きくしてより優秀な個体をつくろうとしているのかもしれない。ひとりっ子や二人兄弟で、子供に対する教育費や生活費をふんだんに与える家庭は増えるだろうと思う。それが答えなのかはわからない。どちらかというと違う気がする。

希望をもちたいのはそこのところだ。仮に、いまの人口グラフがかつて絶滅した生物の個体数と近似していたとしたら、人間はうまく「着陸」する最初の種になれるのではないだろうかと希望を感じる。だとしたらやっぱりこれほどドラマチックなことはない。いままでどの種も経験したことのないグラフを更新していくのかと思うと前向きになれる。ピークを乗り越えて「着陸」することができるのか。まるで飛行機の操縦士が滑走路に車輪を接地させるように、体操選手が鉄棒から手を離して地面に着地するように、実に滑らかに衝撃を吸収して立つべき場所に立つ。立てるかどうかは最後までわからない。その瀬戸際にいる。

本の著者が言いたかったこととは少しずれていると思うが、価値観は変わった。