走れシェア自動車

イカーが夢だった時代よりも、自動車は使命を全うしている。カーシェアリングによって、自動車は1人の人間が所有するよりもはるかに多くアクセルを踏まれ、タイヤを回転させ、メーターを進ませる。所有されている自動車よりも、共有されている自動車の方が走っている。果たして自家用車は走っていない。

日常の移動に車が欠かせない「車社会」では自動車の所有が必須である。望む望まないにかかわらず、生活していくうえでは義務といってもいい。けれども用途は主に出勤や通学の行き帰りで、それ以外の時間、自家用車は家の駐車場でじっとしている。所有がなかば義務付けられている現実は差し置いて、自動車からしてみれば活躍の機会が限られている「車社会」は本意ではない。

一部の特権階級のみ所有できた自動車が、低コスト生産と自動車ローンの普及により多くの個人にとって身近なものになった。人々はこぞって自家用車を買い求め、日本の経済成長を支えたその動きは、今にしてみれば世の中に過剰な量の自動車を供給したかもしれない。「車社会」はその副産物である。

一方でマイカーが人々に見させた夢は本物である。見知らぬ土地に出かけたり、誰かを乗せて走る喜びは自動車がもたらした新たな幸福だ。所有の時代を経て、いま自動車は共有されようとしている。マイカーの夢は夢のままシェアされて、自動車はその使命をより濃密に果たすことになる。