東日本大震災の日、受験生だった

2011年3月11日。東日本大震災が起きた日、高校三年生だった。大学受験のために、京都から新幹線に乗って上野に到着したばかりだった。常磐線のホームで電車を待っているとき、地震が起きた。キオスクがぐらぐら揺れて、ホームの時計も大きく揺れたのを見たから、2時45分の文字盤が記憶に残っている。

ただ事じゃないとわかったのは1時間ぐらい経ってからだった。映画みたいな中継の映像が駅のモニターに写っていた。リポーターやアナウンサーが興奮気味に話していた。カメラマンも動揺していたのか映像はぶれぶれだった。地震のあと直後は福島よりも千葉の津田沼の火災の方が取り上げられていたように思う。

地震は一大事だったが、大学受験も大切だった。前期は落ちて私立も入学予定がなかったので、正真正銘最後の勝負だった。なんとしても前泊予定のホテルにたどり着きたかったが駅員に聞いても電車が動く気配はない。とりあえずスマホの充電をと思ってソフトバンクショップで充電をさせてもらった。

地震から3時間ぐらい経って、いよいよどうしていいか悩んだ。幸いにも成増に兄がいた。そこへ行くしかない。大学は試験を中止とも実施するとも言わなかったが、とにかく成増に行って休まなければならないと思った。

バスはもちろんタクシーもつかまらない。そもそも道路もあまり動いてない。走るしかないと思った。スマホで調べると上野から成増まで16㎞だった。いま考えると、落ち着いて歩けば大した距離ではなかったがそのときは頭が混乱していて、「走らなくてはならない」という気持ちだけが頭の中をめぐった。なんとか明日の試験を受けたい。走らなければ未来はない。そんな気持ちだった。

充電したスマホは繋がらず役に立たなかった。連絡がとれないなかで行ったことのない兄の家にたどり着くことができるのか本当にわからなかった。公衆電話を見つける度にコレクトコールで親に電話して現在地を伝えた。「スマホなんてなんの役にもたたねえ」とか愚痴ってるおじさんの後ろに並んだ。

走り続けてなんとか兄と出会えた。道ですれちがう時に見つけた。近くまで出てきてくれていた。荷物をもってもらい、家まで連れていってもらった。いろんなことに感謝しながら眠った。

結局試験は行われなかった。公共広告機構のCMと緊急地震速報を聞きながら3日ぐらい兄の家で過ごして、実家に帰った。センター試験の結果のみで合否が判定され、合格だった。

なんとなく、走ったことで道を切り拓いた気持ちになった。