ストーリーのたたき売り

「モノを売るためにはストーリーが大切です!」最近この類の言葉を聞くことが増えた。

大量消費社会を経て、モノを買わない世代が経済にかかわり出している。シェアエコノミー市場が拡大し、所有から共有へ人々の価値観はシフトしている。そんななかでも、売れ続けているモノがある。その商品には「ストーリー」がある、というのが先の人たちの主張だ。モノ自体の価値に加えて、そこに付与されている物語を買うのである。情報の消費と言い換えてもいいかもしれない。

情報の消費はこれからますます加速していくだろう。人々はお金を出すことに理由を求めている。丹精込めて作ったお米、何年もの構想期間を経て完成した映画、野球少年たちの汗と涙がまじった球場の砂。ひょっとしたらインフラやエネルギーにすらストーリーを求め出すかもしれない。(「建築家が設計した道路です。太陽光電池で発電した電気です。」)

だが情報の消費は今に始まったことではない。近江商人の時代からされている。近江商人はあちこち旅しながら物語とともにモノを売り歩いた。要は売る側の都合なのである。今だって欲しいモノがあれば消費者は食費を切りつめてでも買う。近頃はストーリーを買うんですよと言えば消費者はだんだんその気になる。

ストーリーに優劣はない。けれども売れるストーリーと売れないストーリーはある。ストーリーがあれば価格競争から抜け出せるかと思うがあとからやってくる商品だってストーリーと一緒にやってくる。

かくしてストーリーは棚に並べられ、価格競争にさらされ、たたき売りされていく。ストーリーを売るのはけっこうだが、むりやりつくられたものや、躍起になってつくることに意味があるだろうか。